棚田家住宅について
TARGET FOR PRESERVATION
高岡に繁栄をもたらした北前船文化を伝える、
伏木地区の歴史的建造物。
TANADAKE RESIDENCE
棚田家住宅とは

棚田家住宅は7間×9間の木造二階建、和風小屋組、切妻造り日本瓦葺の主屋と、平屋の茶室、付属建家、土蔵3棟で構成された商家で、国の登録有形文化財になっています。

主屋には富山県の伝統的民家に多く見られる「ワクノウチ」という伝統技法が用いられています。ワクノウチとは太い柱の間に太い横梁を通し、その間に直行するように縦梁を架けた構造で、柱や梁を隠さず枠組を意匠として美しく見せることで開放的な空間をつくる伝統技法です。ワクノウチの大きさが家の格を表すとも言われ、柱には漆塗りの美しい木目の欅が用いられました。

廻船問屋のため広い土間を持ち、2階商談室には隠し通路も設けられているなど、特徴的な平面構造であるほか、主柱が秋田スギの四方柾であるなど、部材の質が高く、北前船で栄えた時代の伏木の町並みを伝えています。

伝統構法「ワクノウチ」によって作られた豪壮な吹き抜け構造の広間
六畳茶室に松の巾広一枚板の床板に松皮付丸太の床柱の床の間
重量のある大型の石をいくつも並べた中庭の飛び石
HISTORY
棚田家住宅の歴史

棚田家住宅は、伏木古国府の近世以来の代表的な廻船問屋である塩屋茂兵衛家の分家の船荷問屋塩田幸助家が明治23年の伏木大火後に建て直した伏木地区の貴重な歴史的建造物です。
数寄屋造りで造られ、味噌蔵、衣装蔵、道具蔵に茶室なども備えた贅を尽くした建物でした。これらの建物を、伏木の新興企業家である棚田家が塩田家から居抜きで購入したと伝えられています。豪商であった塩田家の再建当時のまま、掛け軸その他の調度品や美術品も引き継がれました。

棚田家は江戸期から明治期にかけて廻船業に関わって、大正7年(1918年)に守山(高岡市)の橘家と砺波の佐藤家とともに、北海木材会社(翌年北海商行と改名)の経営に携わったことで大きく発展した戦前の伏木の有力な企業家です。北海木材会社の社長は橘林太郎が務め、棚田家は当主長造が常務取締役となり、佐藤家は監査役を務めていましたが、実質の経営は棚田長蔵が担っていたそうです。その後棚田家は同社を基盤にして家業の多角的な経営を伏木で展開し、樺太に山林を所持するほか、地元にも宅地などを多数所持し有力な企業家となりました。橘家は現在の伏木海陸運送の経営者で、当時は汽船経営や北陸人造肥料などの設立にかかわった家で、佐藤家は佐藤建設の前身の土木事業家です。

棚田家は江戸期に北前船の船頭を務め、明治33年の『伏木港問屋・荷扱い業者一覧表』に棚田長助が船荷扱い業者として登場しています。棚田家のご当主が戸籍その他の資料で調べられた家計資料によると、江戸期から明治期の当主は代々長助を名乗っていましたが、明治37年婿養子の竹次郎が当主となり、長男の長造とともに棚田家の経営を大きく発展させました。

深井甚三「棚田家文書とその整理について」 参照

RESTORATION
被災からの復旧

棚田家住宅は令和6年能登半島地震の液状化被害により建物が傾き大規模半壊となりました。当主は公費解体を覚悟しましたが、貴重な歴史的文化財建造物を残し、改修して活用することが必要と考え、令和8年4月に、一般財団法人北前文化トラストが引き継ぐこととなりました。